文責: gkm
以下では、私がなぜ介護をはじめたのか、介護に関わらせていただきながら何を考えているのかについて書きたいと思います。時間がなければ、ここは読み飛ばして、湯口さんの文章を読んでください。
私は、2017年1月から、湯口さんの介護をさせてもらっています。
寝る(起きる)ための体位を取るのを手助けしたり、食事を準備したり、車いすに移乗して一緒に買い物に行ったり、トイレに行ったり、おむつの交換を手伝ったり、一緒にテレビを観たりと、日常の様々なことに介護者という立場から関わっています。
介護のなかで、自分自身の無神経さや無知に気づかされることもしばしばです。そして、この社会はいかに健常者中心に設計されているか、ということも考えます。私は、健常者としての特権を持って生きてきたゆえに、知らずにきたことがたくさんありました。
私が介護に携わるようになったきっかけは、2016年に起きた事件の後にありました。最近、公判が行われ、ニュースなどでも目にしたことがある方も多いかと思いますが、相模原の障碍者施設で、19名もの障碍者の命が植松聖という一人の人物によって殺されました。この事件のあと、サークルの先輩の誘いで、金満里さん(障害当事者で「劇団態変」というグループを立ち上げ、身体表現芸術で優生主義を問うてこられた方)の話を聞く機会があり、私は衝撃を受けました。金さんは、相模原の事件が起きたのは、今も社会が障碍者を見下す優生思想にどっぷり浸っているからだと喝破されました。施設を無条件で必要としているように、「いまだに社会は障碍者を脇に押しやる健常者中心的なものであり、日常的な介護でも感覚的に優生思想、健常者のペースでモノを考えて体を動かそうとする感覚や感性、価値観をとても感じる」とおっしゃっていたことを記憶しています。この話を聞いて、自分の中にも潜んでいる優生思想や自分の気づいていない健常者中心主義的な考え方・ふるまいに、実際に関わりながら向き合っていかなければならないと感じました。
少し話は広がりますが、私は、大学に入って、金さんや湯口さんとの出会いなども含めて、さまざまな出会い・経験のおかげで、自分の持つ特権について考えるようようになりました。健常者としての特権のみならず、男性特権、日本人という国籍を持つ特権、などなど、を享受してはじめて、今こういう場にいて考えたり学んだりする機会に恵まれているということを、私は大学に入ってやっと明確に認識・言語化できました。高校までの教育課程や入学試験を経て大学という場にいることは、本人の努力が一つの要因ではあることは否定できませんが、決してそれのみで実現したのではなく、むしろそれ以外の多くの与えられた環境・資源などがあってこそ、のものです。
そして、こうした自分の持つ特権について問われることもなく考えなくて済むことこそが、その特権性を証明しています。私は、駅や町中の段差の多さにうんざりしたり、介護者がいる時間に便をもよおすように睡眠や食生活を考えたり、泊まるホテルのトイレの仕様を事前に入念に確認したり、といったことせずに済んできたことを介護に携わりながら学びました。とことん社会は健常者中心に(そして、そのようなマジョリティ中心に)設計されていて、そのような制度の中で抑圧は不可視化されたりなかったことにされたりしたままです。それは、競争を煽られ負けたら、能力が足りない、努力が足りない、自己責任だ、と片付けられる息苦しい社会と一体です。
金さんの講演を聞いた後、知り合いのつてで、湯口さんの介護に入らせてもらうことになりました。介護に関わるなかで考えることは、まだまだ言語化できていないこともありますが、今では私にとって、なくてはならないものになっています。
この文章を読んでいるあなたも、ぜひ共に湯口さんの介護に関わりましょう。
あなたの大学生活が、良き出会い、経験、学びに恵まれることを心から祈っています。