吉田寮で見つけた、学生自治・学内民主主義の可能性

吉田寮で見つけた、学生自治・学内民主主義の可能性

文責:チョシウン(趙時恩)

 私は韓国の大学生です。現在は正規課程を修了し、フェミニズムを勉強したり、大学独立メディアの記者として学内外の問題を取材したりしています。2018年の9月からは、東京で1年間留学していました。

 吉田寮の問題を知ったのは、2018年の秋、東京の高円寺の再開発反対デモのコンパで吉田寮生と出会ったのがきっかけでした。その後、ネットで情報を調べて、12月に京大で集会が開催されることを知りました。「踊らされるな、自分で踊れ」という表現に強く惹かれたのを今も覚えています。集会に参加したいという旨のメールを吉田寮自治会に送ったら、快く受け入れてもらえたのが嬉しかったです。当日は、当時私が居住していた一橋大学の国際学生宿舎の寮費値上げ問題について発言させていただくこともできました。集会をきっかけに、翌年3月行われた学寮交流会に参加し、7月の第一回目の口頭弁論を傍聴したりもしました。帰国してからは吉田寮自治会が主催する裁判のオンライン報告会に何回か参加しています。

 留学先の修了式でも、韓国に帰国してからも、吉田寮が直面した問題についてレポートやプレゼン発表などの形で紹介する機会が何回かありました。吉田寮生との交流や吉田寮の取り組みを観察することは、自分にとって楽しい時間でもありましたが、一方、「どうして学生自治は必要なのか」「どうして吉田寮は廃止されてはいけないのか」という問いについて、その当為性をどう伝えていったらいいのか、悩まされる時間でもありました。

 現在、私が考える、若者にとっての「学生自治」「学内民主主義」の必要性は二つです。まず、学生自治に参加することで「自分を取り巻く状況―社会のメカニズムについて把握」することができます。私にとって、吉田寮の問題について考察した経験は、かえって自分の共同体に所属感を感じるきっかけとなりました。韓国に帰国してから、学内の不条理な物事の様がより鮮明に見えてきました。学校本部の勝手な学科の統・廃合、非対面授業の実施による学費返還問題、性暴力の加害教授が長期勤続を理由に褒賞されるなど、学生と対話せず、学校の独断的な行政だけで造られてきた大学社会がどれだけ荒廃なのか、思い知りました。こんなことを平然とする大学本部がいやにもなりましたが、訴えるための調査を進めていくうち、自分の属する共同体を変化させたいと思う気持ちは、共同体への愛着にも繋がるということに気づきました。実際このうちいくつかの事案は、学生達が団体行動した結果、変わったこともありました。この状況を変えたいと思うかどうかは自分次第ですが、少なくとも、自分のいる社会の枠組みを理解してから、社会の在り方について考えることができます。学生自治・学内民主主義はその第一歩だと思います。

 二つ目は、「政治的な想像力を育て、組織作り・連帯の仕方を学べる」ということです。学校に抗議したり訴えても、問題が解決されるわけではないです。むしろ、全く聞いてもらえない場合が多いです。その中で学生自治を貫こうとすることは、一種の「社会運動」となります。多くの社会運動は展開過程で、失敗したり、消滅しました。それは社会の権力関係の構造の中で行き詰ったり、内部の問題を解決できず自滅したり、社会の変化につれ自然に収まっていったり、様々な原因があると思います。自分としては絶対そうなってほしくないですが、吉田寮もそのうち一つになるかもしれないと思ったときもあります。

 しかし、「失敗からようやく見えるもの」があると、私は思います。自治活動や社会運動の経験は、私たちに次の行動のための力を養う土台となります。自分にまつわる問題について声をあげていくためには、社会の構造を分析し、解明していく必要があります。それに基づき、向こう側を説得するため、いろんな言説を考察し、戦略を工夫します。また、内部で発生する問題に向き合う過程で、自分の中の矛盾を認め、解消に向けた努力を怠けないため、自分を鍛えようとします。つまり、学生自治とは、必死に他人とコミュニケーションする作業の繰り返しです。その過程での対立や葛藤はごく自然なものであり、むしろ当該過程を通じて「現状をどう改善できるか」に対する政治的想像力が養えます。また、自分の想像を実践に移すための方法―組織化と連帯―を工夫するようになります。

 韓国では今、各大学の生徒会のネットワークを中心に、生徒会が法的な地位を獲得し、大学運営に参加できる権限をより確実に保障してもらうための論議が始まっています。パンデミック以降、学生を単なる大学が提供する教育サービスの「消費者」として捉えることに違和感を覚える学生たちが増えてきました。学校や政府は今まで学生を学校運営の主体として認めませんでしたが、今後の動向に注目したいと思っています。

 今後も私たちは何らかの形で社会の差別や抑圧に抵抗し、社会運動に関わっていくと思います。私は、京大の学生でも、吉田寮生でもありませんが、同じ問題意識を共有する人として、吉田寮の存続を強く願っており、今後も吉田寮に連帯していきたいと思います。