文責:スワンプマン
受験生にとっては受験前後の数年は、環境が大きく変化し、自分の意志で選択をする必要に迫られ、多くの大人から指図なり説教なりを嫌というほど聞かされているかもしれない。
私からのささやかなアドバイスは、「大学の間は親や教師などの周りの大人から受ける干渉が少なく、自己の在り方や他者との関わり方についてゆっくり考える良いきっかけだから、教養科目として発達心理学、特に青年期の発達心理学などを学ぶ事をおすすめしたい。」
ここでは、1回生で受けた教養講義をベースに私が考えた、青年期のアイデンティティ危機とその立ち直り方について少し語ろう。アイデンティティ危機とは、大雑把にいうと「自分がかけがえのない自分としてこの世界に生きる意味を感じなくなる」という危機である。
まあ自分語りのようなものだから、納得いかない点は是非自分で答えを見つけて欲しい。
自分の存在意義を考える時、人は何かしらの基準を持って自分の良い部分を評価するように思う。例えば“英語が得意”だとか“人付き合いがうまい”だとか。
この基準を“存在意義を測る物差し”と呼ぶことにする。
物差しは何でも良いわけではなく、自分から見て「より存在意義がありそうな他者」が承認してくれそうなものでなくてはならない。
また、“物差し”で測るには対照物が必要である。つまり、「ある点で周りの多くの人間より優れている」と感じる事で“物差し”は機能する。”物差し”を持てない状態は自己肯定感の喪失につながる。
高校生までの生活において、自分の“存在意義を測る物差し”は、主に周りの大人社会からの評価であり、具体的には勉学や部活動における成績、はたまた目指す大学や企業だったりする。教育者側から受験生を見ると、(教育者側の利益や満足のためという立場も相まって)受験生のやる気を出す為に、模試の点数を見て褒めたり叱咤激励したり、「頑張るといい事があるぞ」と言い聞かせたくなる気持ちも分かる。受験生というのは周りの大人からの“物差し“の押し付けが最も激しくなる時期の一つだと思う。
一転、大学に合格して一人暮らしすると、驚くほど周りの大人からの干渉はなくなる。講義に遅刻したり欠席したりしても誰にも怒られないし、テストの成績が悪くても単位を落としても怒られない。もちろん100点を取っても褒められない。
周りの大学生は皆優秀に見える。よくわからない講義の内容を、みんな理解しているように文句も言わずノートに書き写している。附属図書館に行くといつも多くの大学生が自習席にかじりついている。
それに大学生になると誘惑が増える。酒や煙草が買える年齢になるし、バイトで稼いで趣味に金を投じることもできる。それらが一概に悪いとは思わないが。
こういった観点から、大学生は“物差し”を押し付けられないばかりか、勉強の動機維持が難しく、挫折も多く、今まで与えられた“物差し”では存在意義を感じづらくなる時期となる。
ここに至り、「果たして自分は真面目に勉強することで幸せになれるのか?」「周りの大学生より自分は優れていないのではないか。」「そもそも何のために勉強しているのか?」という疑問に突き当たってしまう。そして悲しい事に、多くの受験生、特に京大志望は、勉学の成績を自己の“存在意義の物差し”にして努力してきただろうに、これらの疑問はその存在意義を支えてきた柱を自ら掘り崩す事になる。これを突き詰めすぎると、文字通り自分の首を絞めてしまう。
さて、どうすれば立ち直れるだろうか。
私の答えは、「“物差し”を自ら考えて更新する事」これに尽きる。
これまでの人生で与えられてきた“物差し”は絶対普遍ではない。
君は周りの大人から承認を得るために勉強するべきなのか。
そもそも周りの人間は、君が自分自身に向ける、よもや自らの首を絞めてしまうほどの激しい存在意義の問いに、興味があるのか。
親や教師などの大人は、得てして大人自身の考える常識的価値観を“物差し”としてこどもに押し付けるものだ。さらに悪い事に教育はこれを成績という形で「小学校のテスト」から「良い大学、良い就職」まで制度化されている。「良い成績は良い人生を与える」という言外の迷信を“常識”としてこどもに植え付けるように、親や教師にも植え付けている。
これはせいぜい国家や社会の功利(得)に適った枠組みであり、絶対普遍の真理ではない。
ここに至って君は、社会のあちこちに蔓延る「善と悪」と「得と損」との混同を峻別するべきなのだ。
例えば酒煙草に溺れることは善か悪か?答えはどちらでもない。酒も煙草も、自分の意志で自分の健康を一部犠牲にして快楽を得るものだ。自分が何歳で死にたいかは自己決定の範疇であるべきだ。
遅刻は善か悪か?答えはどちらでもない。ただ遅刻をしない方が自分も相手も得をする事が多いだけだ。遅刻したら謝ればいい。
勉強を頑張る事は善か悪か?答えはどちらでもない。自分が将来何をしたいか、そのためにどの勉強を頑張る必要があり、どれはテストで60点取って単位だけもらえればいいか、それを損得勘定で見定めればいい。
自分は何のために生きるのか?答えはわからない。ただはっきり言えるのは、テストでいい点取るためでも、他人から内実とかけ離れた「頭の良い人」や「善人」「お金持ち」のように見られて虚栄心を満たすためでもない。矛盾しているようだが、この問いへの答えを得ようとする事が生きる目的の1つかもしれない。
こうして考えてみると、少しは気が晴れただろうか。
大学生になったらぜひ発達心理学をかじってほしい。哲学や倫理学もかじると、役に立つかもしれない。
そして自分の“物差し”を焦らずゆっくり作って欲しい。大丈夫。君ならきっと自分で考えられる。